

4月18日の投稿で、私は人生を実践を通して学ぶ場としての「リーダーシップ道場」という考えについて触れた。
この「道場」の4つの領域は: 1. 内面的な世界・精神 2.自分の身体、健康、肉体的存在、3.対人関係、4.社会、世界、宇宙(自然を含む)。毎日、毎週、毎月、私たちはこの4つの領域で動き、行動している。
しかし、「道場」という言葉はどこから来て、私たち全員にとってどのような意味を持つのだろうか。
道場といえば、禅宗の道場か、合気道や空手、柔道などの武道道場がよく知られている。しかし、この日本語の語源はサンスクリット語の菩提曼陀羅(中国語では道場)であり、菩提とは釈迦が悟りを開いたときに座っていたとされる木(イチジクの木だったと言われている)のことである。菩提とは、ブッダが悟りを開いたときに座っていたとされる木(イチジクの木だったと言われている)のことである。
このように「道場」とは、単に格闘や防御の技術を磨くための武道場ではなく、自分自身の「悟り」に到達するまで、学び、失敗し、再び立ち上がるためのフィールドなのである。
しかし、世界をより良い場所にするために全精力を注ぎ、時には厳しい抵抗にあい、時には同じような人生を旅する人々の精神に励まされる変革的リーダーにとって、「悟り」と呼ばれるものは実際には何を意味するのだろうか?

ここでは、あなたにとって意味をもつかもしれない3つの視点を紹介しよう。とはいえ、最終的には、悟りとは何なのか、あなた自身の全身で感じ取る必要があるでしょう:
1.刺激と反応の間には空間がある。この空間にこそ、私たちの自由と成長がある。
これは、1940年代にナチスの強制収容所で何年も生き延びたオーストリアの心理学者、ヴィクトール・フランクルの言葉だ。私たちは常に、自分の置かれた状況や自分が生きる社会を変えることはできないかもしれないが、常に自分の反応を選ぶことができる。このことに気づくことで、あなたは自由になり、他の何ものにも代えがたい力を得ることができる。
2.私は楽観主義者ではない。
アパルトヘイト(黒人差別と抑圧)との闘いで活躍した南アフリカの司教、デズモンド・ツツの言葉である。自分が望む特定の変化を期待することは、しばしば失望につながるかもしれない。楽観主義者でいようとすることさえ難しいかもしれない。しかし、どのような状況に置かれようとも、「希望の囚人」であることは不可欠である。ネルソン・マンデラ(南アフリカ初の黒人大統領)は、しばしば劣悪な環境で27年間投獄された。しかし、彼は希望を見出し、それを投影する能力を失うことはなかった。希望は単なる態度ではなく、私たちの生活の中で培い、維持することができる習慣であり、私たちが関わる人々に伝染させることができるものなのだ。
3.賢くなる唯一の方法は、失敗の後に再び立ち上がることである。
日本語には「七転び八起き」ということわざがある。人は誰でも転び、失敗をするが、再び立ち上がる限り、「失敗」などというものはない。真の知恵を得る唯一の方法は、挫折や苦難に直面した後、再び立ち上がることなのかもしれない。
人生の道そのものが、自分だけの悟りへの旅なのだ。人生の道の「終わり」に何を得るかが重要なのではなく、時に茨の道、時に薔薇色の道を進む中で自分がどうなっていくかが重要なのだ。
弱さは勝利のためではない。負けることでもない。それは、結果をコントロールできないときに現れる勇気を持つことである。